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弱小球団研究2 南海後期には薄日は差していたのだが 

今回は研究というより、弱小球団回顧録を行います。

弱小球団というと実は私の中ではホークスが、その筆頭格として思いつきます。ホークスは78年から97年までBクラスでこの20年連続Bクラスってのは、未だにプロ野球記録です。しかも、78年から86年までは全て5・6位のみという体たらくでした。

そのチームに実は薄日が差していたのが、南海末期の杉浦監督時代だったんです。福岡にホークスがきた89年、巷では「弱かチームが来たバイ。」「オリックスの方がよかったろうもん。」などといった声があまたあったのですが、南海ファンだった私は「いや、このチームはやっとAクラスに入れる力がついてきてんのよ。」と密かに思っていました。

というのも、投手では藤本修二や加藤伸一、井上祐二という河村英文の弟子たちが一本立ちし、打者では佐々木誠、湯上谷、岸川、藤本博、吉田博といった選手が開花期を迎えようとしていたのです。これだけの若手選手を育てた杉浦さんは、一般的に監督として特に目立つ事はないのが、実は名伯楽と呼ばれる相応しい将だったと思います。(ダイエー1年目には村田勝や吉田豊彦という先発投手、打者では若井、広永といったバイプレイヤーの萌芽を促しました。)
今、これだけの21歳~27歳くらいの若い選手がバンバン出てくるチームがあったら、評判をとるでしょうね。
蛇足ですが、私が「若手選手が出てくる喜び」を知ったのは、この杉浦体制のおかげだと思っています。その原体験の一例を挙げれば、86年、背番号57の打率2割にも満たない、全く打てなかった打者が、次の年には別人のように「我らの核弾頭」として、パの代表選手にまでなっていく姿に成長の素晴らしさ、楽しさを教えてもらいました。その選手の名前は佐々木誠といいます。(86年平和台で南海戦を見て、「うわぁ、また佐々木が出とう。コイツ、全然打てんめーが。山田勉とかおろうもん。杉浦さん、何考えとうとかい?」と毒づく愚かな中学生でした)

この杉浦時代、87年は、4月から好調で、9月初旬には首位西武に3.5ゲーム差に詰め寄る大躍進。若きエース・ニャンコ藤本がパを代表する投手へと進化し、引っ張ってくれました。
しかし、最後には息切れし4位へ。南海ファンになって、初めて9月に首位争いなるものを経験出来ました。(結局、この後12年間も9月以降に首位争いを味わう事は出来ず)Aクラスに入れなくても、「首位争い」をした意義の方が私には大きかった年でした。

次の年は、あのどケチな南海が清水の舞台から飛び落ちる気持ちで、バリバリの大リーガー・バナザードを獲得し、オープン戦でパ首位に立ったこともあり、「台風の目以上の存在」と言われ、期待は高まったのですが、なんと開幕8連敗をしでかし、鷹の野望はあっさりとついえました。しかし、その後、8月の身売り騒動までは、なんとか盛り返し、Aクラスくらいは確保出来そうな勢いがありました。(オールスターには4・5人出たんじゃないかな?)
身売り騒動でチーム内外の動揺が激しかったらしく、9月にはガタガタの状態となり、5位となりました。門田の大活躍はあったとはいえ、地力がついてきているのを感じていました。

翌89年、ダイエー1年目は慣れない環境で、前半は苦しい戦いでしたが、後半になると打線が大爆発し、昔のパの前期後期制なら後期優勝だったんじゃないかというほど、勝てるチームとなっていました。先述のように岸川などの若い選手もガンガン出てきて。

で、そこから急に暗闇に陥るんですよね。朝日が出ている印象だったのにあれは夕日だったということだったのか。若い選手の台頭があって、急にあれほど弱くなったのは、未だに納得がいかんのですよね。監督の力なるもんがやっぱり大きかったんでしょうね。田淵やもんなぁ。KBCの解説者だった河村英文さんが「キャンプからどうしようもない練習をしていた。加藤伸一や藤本修二を潰しやがって!!」って批評していたのを思い出します。

本当は「研究」と名を打った以上、朝日が昇る勢いだった杉浦体制が、あっさりと田淵によって崩壊させられた事を考えたかったのです。実はそういった事を下書で書いていたんですが、今更ながらあまりに怒りがこみあげて、まとまりがつかず、挫折しました。あの楽しかった南海末期・ダイエー1年目を思い起こして、中心に書いたほうが精神衛生上、良いしね。かの田淵体制が気になる方は、福岡の図書館で英文さんの著書「これでいいのか?ダイエー野球」を借りて読んでください。ここにホークスがその後10年近く停滞することとなった要因が載っています。

田淵以外の要因を探ると88・89年とダイエーになってからの2年間のドラフトで戦力になった選手が一人もいないんですよね。これが90年代中盤までの不振に直結していると思います。どうしてそういったドラフトになったのか?恐らくは福岡に移ってきて、「人気」なるものを過度に意識してしまい、地に足がつかないドラフトになったのかなと。田淵を呼んできた事からもそれが伺えますね。



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コメント

王楽さんお疲れ様です、八十七年は面白かったですね! 途中まで優勝争いしてですね、ある日後楽園の外野が緑色に染まり、今までにないくらいの応援でね、もの凄く感激した想い出があります、(あの時は黄色地に緑の球団旗が印象に残ってるなぁ…アスレチックスみたいな配色でした)…あの川崎球場でさえ長蛇の列ができ、なぜか外国メディアが取材に来て、カメラを意識してか?みんなハイテンションで応援してたなぁ(笑) ハモンドは 「働け~♪働け~♪たまには働けよ~♪)みたいな替え歌で、ベテラン加藤英司と門田が交互にレフト守ったり楽しかったですね! 試合後には水島新司先生がサインしてくれて、帰りの道中のロッテリアでデビットが私服でいて、あまりのデカさにたまげていたら、LLサイズのシェイクを一気に二秒くらいで飲んでいて度肝を抜かれました(笑)

藤本ニャンコがんばりましたよねー、あぶさんにもアンチホークスのおっさん(違うかな?)が、シーズン当初の藤本修二の活躍にも眉唾で「こんなんマグレや!藤本が十五勝したら百万円やるわ!」…と、けなしていて、本当に十五勝しそうな勢いになったら、野球場に現れず、「あのおっさん逃げたんちゃうか?」…と訝しげられてたら、実は十五勝近くなったら借金して、競馬で万馬券ばかり狙い、本当に万馬券を当て、球場に現れた…という話がありました…ニャンコの活躍は当時本当に希望の星でした、翌年、あのケチな南海がバナザードを一億円以上出してとってきた時は川勝オーナーのやる気を感じましたね!

若き鷹の貴公子加藤、癒しのエース、ニャンコ藤本修二、舞い踊る若おっさん西川 麦魂山内孝徳、実は孝徳嫌いの山内和宏(笑) ら先発投手陣、 井上の抑えも確率し、 打線も後半は岸川、藤本が台頭 核弾頭佐々木 センスの韋駄天湯上谷、プエルトリコの暴れんぼうバナザード、不惑の大砲門田、陽気な苦労人山本、若き大砲岸川、落合になんとなく似てた藤本博(笑)、スーパー牽制吉田博、いぶし銀河埜 …代打に左殺しの高柳、PL、法政出身エリート若井、代走のスペシャリスト山口裕二、終盤に代打で出てきて、帰りかけの客の足を止めたドカベン香川(笑)
旗艦主砲門田の活躍と グングン伸びる若手…1番面白かった時期でした。

ダイエー初年度は開幕戦を見に行き、プロ入り初打席 代打のホームラン広永! その後も当時はスリムな吉永の台頭等、岸川も二十六本ほおりこみ、若手もドンドン出てきました。

田淵…はねぇ…ハァ…精神衛生上、彼を語るのはやめましょう。 根本招聘の起因となった男と 前向きにとらえましょう。(笑)

まだまだ語りたいですが、また後で(笑)

なぜ江川はA組スタートじゃないんだ??(立岡一軍の意図も気になりますし)

ほーくすくす #- | URL
2011/01/29 21:49 edit

Re: タイトルなし

>ほーくすくすさん

> 王楽さんお疲れ様です、八十七年は面白かったですね! 途中まで優勝争いしてですね、ある日後楽園の外野が緑色に染まり、今までにないくらいの応援でね、もの凄く感激した想い出があります、(あの時は黄色地に緑の球団旗が印象に残ってるなぁ…アスレチックスみたいな配色でした)…

南海ファンにとって87年は忘れられない年ですよね。どんどん若手が一本立ちしてきて、楽しくて仕方無かった年でした。ただ、平和台はさすがに南海ファンは少なかった(苦笑)。それでもあの年、強い西武相手に平和台で横綱相撲で勝ってくれて、感激したなぁ。360度西武ファンの中を10人くらいの南海ファンが喜ぶという面白い光景でした。

>あの川崎球場でさえ長蛇の列ができ、なぜか外国メディアが取材に来て、カメラを意識してか?みんなハイテンションで応援してたなぁ(笑) ハモンドは 「働け~♪働け~♪たまには働けよ~♪)みたいな替え歌で、ベテラン加藤英司と門田が交互にレフト守ったり楽しかったですね! 試合後には水島新司先生がサインしてくれて、帰りの道中のロッテリアでデビットが私服でいて、あまりのデカさにたまげていたら、LLサイズのシェイクを一気に二秒くらいで飲んでいて度肝を抜かれました(笑)

門田のグラブさばきは柔らかかったような、微かな記憶があります。加藤英が前半勝負強かったんですよね。ベテランコンビとしてメディアにも多く取り上げられましたよね。あの年、デビッドが、前年くらい打ってたら、Aクラスは確実だったんですけどね。やっぱ、でかかったですか。私はアニマル(阪急)に球場で握手してもらって、なんちゅーでかさやと驚いた記憶がありますね。そーいや、アップショーと同じ電車に乗り合わせた事もありましたが、彼は意外に小さく感じました。

> 藤本ニャンコがんばりましたよねー、あぶさんにもアンチホークスのおっさん(違うかな?)が、シーズン当初の藤本修二の活躍にも眉唾で「こんなんマグレや!藤本が十五勝したら百万円やるわ!」…と、けなしていて、本当に十五勝しそうな勢いになったら、野球場に現れず、「あのおっさん逃げたんちゃうか?」…と訝しげられてたら、実は十五勝近くなったら借金して、競馬で万馬券ばかり狙い、本当に万馬券を当て、球場に現れた…という話がありました…ニャンコの活躍は当時本当に希望の星でした、翌年、あのケチな南海がバナザードを一億円以上出してとってきた時は川勝オーナーのやる気を感じましたね!

ニャンコ、あの年はなにかタイトル取れると思ったんですけどね。山沖が先発で覚醒した年でやられたんだよなぁ。修二の豪快なフォームは好きでした。ダイエーでは活躍出来なかったのが本当に悔しいですね。

> 若き鷹の貴公子加藤、癒しのエース、ニャンコ藤本修二、舞い踊る若おっさん西川 麦魂山内孝徳、実は孝徳嫌いの山内和宏(笑) ら先発投手陣、 井上の抑えも確率し、 打線も後半は岸川、藤本が台頭 核弾頭佐々木 センスの韋駄天湯上谷、プエルトリコの暴れんぼうバナザード、不惑の大砲門田、陽気な苦労人山本、若き大砲岸川、落合になんとなく似てた藤本博(笑)、スーパー牽制吉田博、いぶし銀河埜 …代打に左殺しの高柳、PL、法政出身エリート若井、代走のスペシャリスト山口裕二、終盤に代打で出てきて、帰りかけの客の足を止めたドカベン香川(笑)
> 旗艦主砲門田の活躍と グングン伸びる若手…1番面白かった時期でした。


ドカベンで吹きました(笑)。平和台でもドカベンが出てくりゃ、大いにお客さんが湧きましたよ。中継ぎに中條、矢野でしたかね。ここがちょっと弱かったんだよな。(それと守備力ですけど)まぁ井上が8回から投入される事が多かったんですが。

> ダイエー初年度は開幕戦を見に行き、プロ入り初打席 代打のホームラン広永! その後も当時はスリムな吉永の台頭等、岸川も二十六本ほおりこみ、若手もドンドン出てきました。

西崎が「俺は誰に打たれたんだ?」って顔していたのが忘れられません。あの試合、坂口がタイムリーエラーしたんですよね。ちなみに坂口は今、カズさん監督と一緒のクラブチームでコーチをしているようです。

> 田淵…はねぇ…ハァ…精神衛生上、彼を語るのはやめましょう。 根本招聘の起因となった男と 前向きにとらえましょう。(笑)
> まだまだ語りたいですが、また後で(笑)


畠山なんかの覚醒を田淵に少しでも期待した俺がアホでした。あんなに若手をパカスカ外に放り出す監督がいていいもんかと。

> なぜ江川はA組スタートじゃないんだ??(立岡一軍の意図も気になりますし)

今まではどうせ最後にはAに呼ばれるやろうとあまり気にしなかったんですが、今年は藤井の下で江川を見てもらいたかったですね。それだけに残念だし、何を考えてんのかと。ヒロシで大丈夫かいという気持ちも拭いきれませんし。

王楽太陽 #B9vKlaaI | URL
2011/02/02 21:15 edit

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